1889 4/16 チャップリン ロンドン生まれ
1889 4/20 ヒトラー オーストリア生まれ
チャップリン 両親は芸人 離婚し母に育てられるが母精神疾患 父は別れた後すぐお酒から死 極貧の中で役者として 英で舞台俳優としてアメリカなどで巡業したりする その頃 第一次世界大戦後 米は活気 世界のトレンドの中心は米 ドルが基軸通貨に ヨーロッパは弱まっていた頃 華麗なるギャツビーの頃 ハリウッドが盛り上がってた頃 チャップリンは世界的スターになる 当時は米では差別的なコメディが受けていたがそれだと世界中には受けない ので みんなにウケる手法を 世界巡業の中で理解していった
ヒトラーは中流家庭 一回 劇的なイメージを持たせるために貧困家庭って言われてたが実は中流だったらしい アーティストになるために美術を学んでいたが芸大には入れなかった ww1で兵士にもなったがあまりうまくいってない
登場ドイツはww1による多額賠償金 →米発祥の世界恐慌 ヨーロッパにも波及 ドイツがさらに追い込まれる その中でユダヤ人への怒りが蔓延していた ロスチャイルドがw1の混乱の中で 隆盛していた 陰謀論がささやかれる いいポジションはユダヤで占めていた
ヒトラーは政治イベントに参加し 演説した時 そこで才能に気づく 全てはユダヤ人のせいという演説をしたことが鬱屈の溜まったドイツ人に響く ドイツは強いというメッセージとユダヤ人への攻撃的なメッセージ 演説のえげつない能力 芸術も戦争もダメだったが演説で拡大 人種差別とナショナリズムで圧倒的支持 デモ行進や暴力的なことをする 一度逮捕されるが獄中で書いた本 我が闘争が爆発的に広がり さらに政党を作り第1党になる 最初は平和的な公約だったが だいいっとうにかってから全て覆し ナチス以外の党を認めず 言いがかりで共産党を逮捕 大統領と首相を兼ねるような総統というポジションを作り あくまで民主政治に則って支持を得る ww1の時に皇帝 独裁政治であることがいけないんだと民主主義に強引に切り替えられた が その民主主義で支持を得 そして独裁国家に戻す
ヒトラーとチャップリンは世界恐慌中にどうするか考えていく そこで二人とも映画を選んだ サイレントからトーキーに変わっていく
ヒトラーは弁舌を広げるためにコピーを養成してヒトラーのような演説を学ばせていたがうまくいかなかったが トーキーで音声が入れられるようになり演説を送ることができた
チャップリンはサイレントとトーキーを混ぜた技術でもう一回成功
新しいプロパガンダとエンターテイメントとして映画があった ヨーロッパの強い為政者はみな強いヒゲがあったが チャップリンはコミカルを出すためにヒゲを作った そして同じヒゲができる
世界的有名なチャップリンは 権力者を嘲笑うコケディが多かった上にチャップリンの髭とヒトラーの髭は似ていた これが結構いじられる ナチスは都合が悪いが党員はファンが多くて近づけない状態 ナチスはそのネタで風刺画を書かせないよう統制した チャップリンの映画も配給させない
ヒトラーが大事にしてたのはイメージ戦略 ナショナリズムと人種差別だけ そして映画によるプロパガンダ とうのマーク イメージ戦略 イメージを崩すものを排除し イメージのための部署も作ってガンガンプロパガンダをやった ナチスはチャップリンをさらにイメージ的に攻撃 英生まれだがユダヤ人ということにして ユダヤを敵に見てるドイツの風潮にかぶせていく
ヒトラーは独裁者としてナポレオンを意識しておりそれを越えようとした チャップリンは独裁者をモチーフにコメディを作ろうとしたが合わなかった その時ヒトラーがモチーフになる 独裁者として戦争を反対する映画を作って それが途中でバレて 止められてきた
まだww2の始まる前 映画作ろうとしてたが その映画は ソ連にも攻める ユダヤ強制収容所作る 条約破る っていうのは予言されていた 当時 まだ米とドイツは同盟国 そうおうえいがは米は作って欲しくなかった 米英はまだナチスっていうものがどういうものか掴めてなかった 強いリーダーシップでドイツが復活してもらったほうがいいってイメージだった チャップリンはやばいってイメージ持ってた。 反対を大きく受けたが 頑なに作ろうとした
ドイツがそのあたりから一気に強くなっていく 暗号器エニグマを作り戦争特化の国を作っていた フランス パリ占領 一気に。 ナチス ひとつがパリに進駐していく ヒトラーはこれがしたかったと言った ナポレオンを超えた といいとうすい
その翌日 チャップリンは最後の演説シーンを撮影
パリ占領 イギリスにも空爆 世界中が恐怖に陥ってた中で チャップリンの映画は撮影が終わり 公開がずっと反対させられてたものだったが 国民の声に後押しされて英米でも公開 映画独裁者 大ヒット 笑わせていく映画 演説を滑稽に描いていった 最後の演説で反戦を訴え泣かせるvこれが公開された後 ヒトラーは演説を嫌がるようになった その辺りでロシアをナポレオンと同様せめあぐね 自殺する
チャップリンはこの後圧倒的な英雄として礼賛される
その後チャップリン米から追放される 米はソ連との対立に入っていき アメリカはまだ戦うモードを維持したかったがチャップリンは戦争を否定した チャップリンは米国籍を取ってなかった あの映画はイギリスのために作ったんだろqみたいなことを言われる 愛国心がないと言われた その時チャップリンは愛国心がドイツを産んだ 危険だ と言って 米はチャップリンを追放した
その後 ベトナム戦争にアメリカが失敗した時のまた再評価される
映画の次に出てきたメディア テレビ によってベトナム戦争は終わる 共産主義との代理戦争で世界を牛耳ろうとした様が描かれる ベトナム戦争後 またチャップリンの映画が放映されるようになり 米の追放がおかしいという声が出てきて 20年後 チャップリンは米国に戻ってくる